東京ディズニーシープロジェクト「引用 OLC GROUP」

jingwen 2020/10/20 告発 コメント

東京ディズニーシープロジェクトを紹介いたします。

東京ディズニーランドの成長が続く中、1988年4月15日、東京ディズニーランドが開園5周年を迎えた日の記者会見において、髙橋社長から第2パーク構想が発表されました。
 

第2パークの構想発表に向けての検討作業は、東京ディズニーランド開園後すぐにスタートしていました。
 

1983年10月にスタートした、東京ディズニーランドの将来施設開発計画と並行して進められたのが、パーク周辺開発についての検討です。ディズニー社との共同研究や千葉県との協議を重ね、1987年にはディズニー社とともに第2パークの導入コンセプトの受容調査を開始するなど、さまざまな検討作業に多くの時間を費やしました。

 

そして「第2パーク」は、1988年の構想発表後、1997年に「東京ディズニーシー」としてその概要が明らかになるまで、約10年という長い年月が費やされました。

初期段階で検討されていたのは、「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパークat東京ディズニーランド」という、1989年に米国フロリダ州にオープンした「ディズニーMGMスタジオ・ツアー」をベースとしたテーマパークでした。
検討作業は順調に進んでいるかに思えましたが、1991年にそのコンセプトは見直されることとなりました。そして、改めて検討作業が行われ、1992年の新たなアイデアこそが、現在の「東京ディズニーシー」のベースとなる「セブン・シーズ(7つの海)」という“海”をテーマにした新しいコンセプトでした。

 

「東京ディズニーランドでは体験できないまったく別の感動を提供する市場性を持つこと」、「日本人に合う、何度でも来たくなるパーク」という計画要件に見合うプランを検討していた当社は、この“海”をテーマにしたディズニーテーマパークの実現に向け、大きく舵を切っていきました。
 

その後も、ビジネス交渉が詰められていくとともに、第2パークの具体的なプラン策定に向けて検討協議が進められていきました。

時に協議は、日米の持つ文化的な背景の違いにまでおよびました。
例えば、「東京ディズニーシー」のシンボルを決める過程において、当初ディズニー社は、アメリカ人にとって冒険の守り神であり祖国に戻ってきたシンボルとも言える温かなイメージを持つ『灯台』を提案していました。
一方、日本人にとっての『灯台』は哀愁を帯びた寂しいイメージがあります。
ディズニーテーマパークのシンボルとして相応しくないと感じる当社とディズニー社との議論は平行線をたどりましたが、こうした局面においても、常に建設的、かつ熱い議論を繰り返し、海をテーマとしたディズニーテーマパークのシンボルとして両社が導き出した答えは、“水の惑星地球”を表現した『アクアスフィア』でした。

 

今、『アクアスフィア』は東京ディズニーシーのエントランスにそびえ、訪れる多くのゲストにこれから始まる冒険への期待感を抱かせ、「東京ディズニーシー」という広大な海へといざなっています。

また、時にはこのような出来事もありました。
 

アメリカンウォーターフロントに停泊している客船「S.S.コロンビア号」についても、投資額との兼ね合いからその大きさについて議論が繰り広げられました。最終的にはディズニー社のイマジニアの想いが尊重され、全長140mというスケールの大きなものとなりましたが、東京ディズニーシーを訪れた誰もが圧倒される「S.S.コロンビア号が持つ本物感」は、彼らの想いをなくしては成し遂げられなかった施設と言えます。

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